2024.08.31 ここでのやる気を少し出してみたいと思ったり。と、この文字を並べて見るたびに反省するように。

一から作ってみたかったんだけれど。いきなりは無理だったということか。残念だ。……なるほど、

絵がうまくなりたい人生だった

現実とは……に対する考えの一つ

自分という確信を失くして、自分のふりをするには周りをよく見る必要があったのだろう。もともとも、似たような生き方だったかもしれないけれど。

現実は厳しいと随分と脅かされたものだ。自分という確信を失くして、日々崩れていく心。繋ぎ止めようと必死だったけれど、弱り切って単純な能力も落ちてしまっていた。本来あった自分を知らない人にから見れば弱音を吐いても、ダメな奴がただ甘っちょろいことを言っているだけと思われただけなのだろう。厳しいことを言うのも優しさから。……当時でも十分わかっていたけれど。わかっているから更につらい。本当は……と、言っても信じてもらえるわけもなく。弱り切っていたこともあって、わかり合うことを諦めてしまった。孤独感は更に強まったものだ。

現実は厳しいのだろうか。確かにどうにもならないことはあるけれど、人を見ていると案外と自分勝手やら弱音も許される……受け入れられているように見える。すごいギャップを感じる。優しさというモノの恐ろしさを感じるほどに。

現実……か。実際のところ人間の世界でのことで、日本という世界のことで、今の自分がみることの出来る世界達のことで……。”現実とは数多の世界が重なり合った場所”と認識することも出来る。

人と人も動物もなんであれ、それぞれ自分という世界を持っている。自分にとっては大丈夫でも、大丈夫じゃないということもある。それは世界のルールが違うから。ルール……ここでいうルールは魂でもいいか。

現実における物理法則はかなり強力なルール。厳しさを感じる。けれど、あの頃言われた、現実は厳しいというのは重なり合う世界のこと。人間の世界で、日本という世界で、その年代での世界で、自分を失くした世界で、それを言う人の世界で……。わかり合えなかった……確かにそれがある場所である現実は厳しいものだ。

現実は数多の世界が重なり合う場所。みえる世界はどれだけあるか、視点が多いほど現実が見えるかもしれない。けれど、よく見える世界に囚われて案外しっかり現実がみえていないこともある。もっとも、それでこそ人間らしくもあるように思える。

みえる見えない、見えるみえない。錯覚もあるし……あえてみないもある。ありたいようにあればいい。あれないのならば、ありたいと願うのもいい。流れるままでも。

あの頃の弱音をわかってもらえなかった現実。わかり合うことを諦めたはずなのに随分とそれに関わることを考えたものだ。