去年の終わりのほうで今の自分が、本来あった自分に戻れたモノとは違うのだと気づいた。元に戻るにせよ、再現するにせよ過去……特に子供時代を意識して思い出したり、記憶をイメージで再現して今の自分を置いてみたりして手掛かりを探していた気がする一年だった。
ここ数年は心身ともに衰えた力を取り戻すために、カタチを持たせた運動を再びやることで力を戻している。再現という儀式で十分に力は戻り、去年で今の僕というカタチも出来た。今の自分を、戻った力で再現したモノとしての僕。虚像で嘘で在りつつちゃんと自分で、僕は自分でしかありえない訳で。
本来あった自分と違うとしても、自分である確信があるなら問題は無いと思えるけれど、子供の頃の記憶に関すること口にしたりする時に微かに自分である確信が揺らぐ気がしてこわい……のかもしれない。それで拘っているのかもしれない。
仮に再び自分である確信を失ったとしても自力でどうにかする術は記憶にある。でも、別の方法が欲しい。救われなかったという結末は哀しいし。しかし、これもそうだけれど、子供の頃の記憶をイメージで再現して今の自分を置いてみること、それに運動であの頃の自分を再現すること。この辺りがどうにも弱らせる。衰えるではなくて弱るという感じだけれど。
あの頃を自力で克服して出来た今の自分。良くも悪くも信じられる。実に弱くてだめな奴。集中力が散漫なら素の集中力が高ければ問題ないし、基礎能力を高めておけば、よくわからないことにも何となくうまく対応出来る。だろう、たぶん、きっと、おそらく、めいびー。な、人間だし。
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